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​​ひとりごと

モヨロ20年

◯モヨロ貝塚見学   21年 初夏 のべ20名参加   文責S

 

施設が新しくなってからも 来道した友達などを連れて幾度となくお邪魔して居りますが

人骨の展示に来ると 卯原内小学校の頃に社会見学で薄暗い旧館に来た事を思いだします

「いつかはお前も〈野ざらし〉でこんな風になるのだ」という声を聞いた気がしたのです

人一倍臆病だったからでしょうか 分からない乍ら漠然とした無常の感を得た様に思います

以来 私にとって〈輪廻〉や〈魂〉や〈無漏路〉などに思いを馳せる博物館なのです

 

今回は特別に網走博物館の米村館長の解説で館内を回り 様々に認識を新たに致しました

特に 米村館長の御祖父様に当たる「網走三奇人の一」と称された米村喜男衛氏の逸話は

この貝塚の数奇な発見とその発見者のお人柄に 心引かれるものを強く感じました

毎回なにがしかの発見を得るのが 博物館の楽しみの一つではないかと思っています

米村館長に子ども達から 活発に質問がなされた様子を見て やや安堵しました

 

殊に 再現された住居の中で「風呂とトイレはどこですか」という質問を聞いた時には

その子の頭の中で一瞬でも「もしもこの時代に生きていたら」という想像が働いたのでは

と考えると この企画が多少大人側からのゴリ押しであっても やって良かったと感じました

私達は 何億年経っても結局「恐れ」と「祈り」と日と月と星の下に生きているのですから

そう云う事が宗教や科学ではなく 各々の哲学として響いてくるべきだとも 新たに思いました

帽子岩20年

◯帽子岩探検    21年 初夏 参加者20名程             文責S

 

じっとくの活動の眼目の一つは〈探検〉なのですが この定義が難しいと感じて居るのです

鳥も通わぬ極寒の地に行ったり砂漠をラクダで横断したり という事だけが〈探検〉では無い筈

世間(これの定義も難しい)とは異質な探究心を持って行動する事を そう呼びたいと思います

則ち 探究心がなければ 例え深海に潜ってムー大陸を発見しても〈探検〉とは云いたくない

丹田辺りから出た「ナニ?」という疑問を 吾が腑に落ちるための試行錯誤であって欲しいのです

 

実はモヨロ貝塚館の見学よりも 身近な所で こちらの企画の方が随分先に上がって居りました

それはラジオしょうねん団の団員のひとりと「帽子岩って登れるのかな」という「ナニ?」でした

私が子どもの頃は 帽子岩の周りで泳いだり 釣りをする父と一緒に近辺を歩いた記憶があります

いつから立ち入り禁止になってたのか? 誰がどう管理してどこまで禁止しているものなのか?

どこかに頼んで上陸する方法は無いか? と次々に「?」が湧いて来たのが〈探検〉の始まりです

 

じっとくの活動に際して大切にしている事は 子どものアイデアに乗って企画を進めるという事です

その子がやってみたい事に付き合う 教えるのではなく一緒に遊んでその背中を見て貰う姿勢です

関係各所にお願いして ヘルメットと救命胴衣を着用して 岩の裾に上陸することが出来ました

前出の米村館長に 古くは幣場(ぬさば)であったと伺い 思い思いの願い事をする事にしました

ドローンを飛ばし上空から帽子岩を見た結果 案外知られていない秘密に辿り着く事が出来ました

藻琴山20年

◯藻琴山登山   21年 夏 参加者15名          文責S

 

前回同様の前置きになりますが 登山という行為自体を〈探検〉だと思っているのではありません

気候のよい時期に仲間と一緒に身近な低い山に登る事は 娯楽の範疇のなるのではないでしょうか

その昔は遊山という言葉がありましたが 今の子どもの感覚だと遠足がしっくりくるのでしょう

ただ生まれて初めて山に登るとなると この緊張感がややともすれば〈探検〉めいてくるかも……

今回の始まりは ラジオしょうねん団のひとりの「一度登山をしてみたい」という発言からでした

 

きっかけの子に「学校の友達を誘ってもいいよ」と云うと あっという間に十数名が集まりました

まずは「どうやって小清水ハイランドの登山口まで連れて行くか」に始まり 車の手配と運転手決め

そして アウトドア保険の加入のための住所等の確認に医療箱の持参等々 やるべき事は多いのです

こんな事のほとんどを M氏にお願いしておりましたが 面倒な顔もせずサクサクこなしてくれます

彼とは近年土砂降りの斜里岳を振り出しに山仲間になりましたが 二人で行く登山はすっと気楽です

 

彼に補給食のアスリート用羊羹をよく分けて貰いました 私の様な酒呑でも山での甘みは別物です

プロレスの昔話などしながら歩いていると 気付けば登頂している様な出鱈目な登り方でしたが

しかし 今回はそんな呑気な事は云っていられません まして登山の様子をレポートして月末放送の

番組に仕立てなくてはならないのです 折り返しの銀嶺水での記念写真は至って呑気に見えますが

参加者に怪我をさせない事ばかり考えたこの登山は 私達にとって一番の〈探検〉だったのかも……

海岸清掃20年

◯海岸清掃   21年 晩秋 参加8名         文責S

 

ラジオしょうねん団のメンバーが「流木や貝殻を拾って写真立てを作りたい」と言い出しました

そこで「どうせなら掃除しながら拾おうぜ」と 少しだけ企画にイントロ付けをさせて貰いました

さらに数ある砂浜の中から 個人的に思い出の多い場所 二つ岩の海岸を掃除する事に決めました

高校の頃夏ごとに足しげく通い 泳ぎ潜りキャンプして突いたり獲ったり……イケナイ事ですね

17歳の夏 夕日の落ちた暗がりで女の子と堤防に腰掛け手も握らずに過ごした事があったっけ

 

早速 分別御免というボランティア用のゴミ袋を T氏が市にかけあって大量に調達してくれました

こんなに袋は使わないだろうと踏んだのですが いざ拾い始めるとゴミばかり次々と目につきます

ペットボトル ビーサン 菓子袋 洗剤容器 釣り糸 バケツ ゴミのほとんどプラスチックです

噂には聞いていたのですが やはりハングルや中国語の表記のものが 大量に見受けられました

向こうは向こうで日本語ラベルの袋が 海水浴場や釣り場に同じように漂っているのでしょうか

 

海中のマイクロプラスチックは気候変動と並び 今から取り返しの付き難い世界的問題の一つです

ゴミの出所の犯人探しをすれば 日本人は世界的に非難を受ける事になるのではないでしょうか

我々は世界的に見て過激な過剰包装国民であり またそれを真剣に受け止めない無責任国民です

ナノプラスチックがナイロン素材の洗濯ごとに 大量に放出されることは知っている筈なのに……

この日集めた写真立て用の貝や綺麗なガラス片等は イントロのままフェードアウトしました

らじお少年団21年

◯ラジオしょうねん団 初の生放送 21年 霜月     参加8名  文責S

 

結成当初から道新の全道版の記事にもなって 華々しく紹介されたラジオしょうねん団でしたが

実は感染防止を考慮して この日まで一度もメンバーが正式に顔を合わせた事が無かったのです

思えば説明会は二回に分けてディスタンスを取り その後の稽古もマンツーマンデひとりづつ

四月の一回目の放送は延期になり 翌月はそれぞれ自宅からリモートでの収録と多難続きでした

という訳でこの日は団員募集以来初めて 纏まった人数でこんな催しが出来る事になったのです

 

とはいえメンバー全員の都合は付かず 前日に入院してしまった団員も居て 生放送参加は8名

それでも割り台詞を読み込み 二人三人づつで何度も読み合わせを繰り返して本番に臨みました

だから8人全員が揃ったのは 驚くなかれこの日の朝生放送の30分前が初めてだったのです

それでも読み飛ばしもトチリも頭が真っ白で絶句する事も無く 無事30分間を乗り切りました

冒頭に機材トラブルがあって 時間も押していたのですが 皆良くやってくれたと思っています

 

じっとくのもうひとつの主眼の〈対話〉は 覚えたてのヘボ将棋に似た所があると感じています

同じくらいの実力のもの同士で 待った無しの勝負しているときが 一番楽しい筈なのですが

大切なのは自分の駒よりも 相手の出方を見つめる事 則ち聞き上手が肝要だと考えています

本人が思っても居なかった様な初めての事を口にする そんな力があるのが〈対話〉なのです

お聞き頂いた方に もしも和気藹々とした感じが少しでも伝わったら それは彼らの産物です

第1ぎょうざ

◯第一回餃子祭り     21年  生放送同日   参加のべ40名   文責S

 

じっとくのお披露目と ラジオしょうねん団員の保護者の皆さんとの顔合わせも兼ねての会食です

何故餃子なのかといった処から書き出してみたいと思い乍らこう云う事は秘した方が共思ったり

無意味に思える事に楽しさを感じるのは 意味の説明が興を削ぐ事だと云う裏返しなのでは……

寒中に裸で走り回っている者を見て「バカな事やってるねぇ」と笑い乍ら羨ましいと感じて居ます

ところがそれが信心の為の御百度参りだと分かったら 敬意を持ってしまって笑ったり出来ません

 

傍に真意なんか伝わらなくても良いのです 「なにやってるんだか」と笑われても構わないのです

時には謝って済む位の迷惑をあちこちにかけながら 膝を擦り剝く位の怪我をして 痩せ我慢して

倒れ込んでもパタパタ土埃を払い合って 洟をすすってまた立ち上がって 笑い合えたら良いのです

転んだヤツにしか走って躓いた意味は分からない それを説明する事こそ『野暮』ってモンでしょう

『野暮』は揉まれて丸くなるって云いますから キザにならなきゃ良いのです キザはいけません

 

と 長々お断りした上で じっとくの心構えを今一度ここでなぞっておきたいと思うのですが……

〈対話〉の末に生まれた企画に付き合うこと こちらから企画を持ちかけたりお膳立てしたりせず

参加者の探究心が〈探検〉に昇華するのをひたすら俟つ というスタンスで取り組んでみたい

子供達と一緒に餃子を作る企画が上がり 旨さを共有しようと全国の名店から数々取寄せしたのです

支度も後手後手になり お世辞にも上手く焼けたとは云えなかった餃子を皆で和やかに頂きました

藻琴山22年

◯第2回藻琴山登山   22年 春  参加4名   文責S

 

団員の「初めての山登り」に付き合うという姿勢は 一回目の藻琴山登山の時とほぼ一緒でした

前回と同じコースで小清水側から屏風岩を経て頂上へ 銀嶺水までいったん下りて再び小清水口へ

お弁当などの休憩を入れても全行程で3時間あれば 戻れるだろうと踏んで出かける事にしました

当日の朝 山の天気予報を見ると午後からは曇のち雨 1時間前倒しして肌寒さの残る網走を出発

登山ばかりではなく何でも当てはまるのですが 少人数だとこういう所に小回りが利いて有難い

 

さてさて この登山には元々「ラジオしょうねん団女子登山部」というタイトルが付いています

番組のコーナーとして 登りながら要所要所でロケも行い 帰ってスタジオで纏めもするという

まさに「探検」と「対話」とその両方の醍醐味を味わう事の出来る粘り腰の必要な企画なのです

今起こっている事を 状況が見えていない人に 即座に話纏めてすというのは 大変難しい事で

まして感激した風景の描写や疲労や達成感などを声にするのは それなりの訓練が必要なのです

 

しかしレポートの技術は無くとも 素直な気持ちが山での感動を言葉にしてくれるのではないか

そんな風に考えて収録を進めて行きましたが 予想以上に疲れてしまったらしく言葉少なです

「あと何歩?あとどのくらい?」「もうちょっとには騙されない」と憎まれ口は達者でしたが

後半は私のリュックに掴まりながら 何とか登り「山をナメていた」と泣きのセリフが入り

漸く下山すると「今までの人生で一番疲れた」とボヤいてくれコレはコレで面白いのかと……

網走湖一周サイクリング

◯網走湖一周サイクリング  22年 初夏 参加2名  文責S

 

ラジオしょうねん団の団員は試運転の期間が済むと 各々コーナーを持つ事になっています

自分のやりたい事を企画して その事について台本を作り 番組の中に反映していくのです

やりたい事ならどんな発案でも通る訳ではありません 耳を傾けたくなる内容でなくては

ただ「うどんを作る」では企画は通りませんが 小麦も出汁もゼロから作るなら賛成です

「ついでに丼も箸も七味唐辛子も作らないか」と 思わず私から持ちかけたくなるのです

 

さて「今までは近所でしか乗った事が無い」という男の子との待望の自転車遠乗り企画です

せいぜい平らな1〜2キロを漕いでいた四年生が いきなり網走湖一周38キロに挑戦です

呼人湖畔から湖を左手に大曲方向へ サイクリングロードをひた走りやや行くと上り坂です

ここから結構なアップダウンを繰り返し繰り返し 補給地点嘉多山峠の駐車場に到着します

上り坂の向かい風という悪条件を黙々と漕ぎ進む姿は 滝を遡上するサクラマスのようです

 

網走サイクリング協会のイベントに参加させて頂き 方々で声をかけて貰い それを励みに

当初思った到着時間よりも随分早くするゴールする事が出来ました お世話になりました

頂いたお弁当のこれまた美味しかった事 煮物も山菜の天婦羅もしっかり手の込んだ味付で

同じ事をした者同士 同じものを食べて先ほどまでの気持ちを分かち合うという単純な事が

世界中で出来なくなっていた数年間だったのだと 改めて認識するきっかけにもなりました

第1回風とあそぶ会

◯第一回風とあそぶ会   22年  秋 参加10数名  文責S

 

今どきの……というモノの括り方は人情の機微を乱雑に捉えるためにある と前置きし乍ら

今どきの小学生は忙しいと感じる 学習塾 クラブ活動 お稽古事に学校の宿題が日々加わる

他にも家庭ごとの行事がある 帰省もレジャーも今日 マニュアルの行き届いたものが多い

この「安全保障」と「監視社会」は諸刃の剣であるが 大人は思この事に考停止してみせる

そういった「取扱説明書」の力の及ばない場所に 今どきの子ども達を連れ出してみたかった

 

しかも世間は根幹の見えない事ばかりである 感染症 温暖化 ナノプラスティックの問題

枝葉となると難民 戦争 原発 差別 やがて水が涸れる事まで未来への迷惑な置き土産である

何しろ 気付けば未来に関わる時間がガクンと減っていたのだ 今更責任感じたからと云って

今どきの子ども達を 憂慮だか後悔だかそんな狐憑きの巻き添えにしてはいけないではないか

この考えがジジイの身勝手かもしれない 自分の見えていない可能性に棹さすだけなのかも

 

そう思いながらだったが舵を切った 始まりは子どもとの他愛無い紙飛行機談義だったのだが

それを拡大解釈して「見えないものを相手に」遊んでみようと お節介した事を認めておこう

南から大きな台風が近づいている気配が 当日の朝のオホーツク海上の「風」にも感じ取れた

「もっと乗っていたかった」と云い乍ら下りてきた子ども達を見て 幾分ほっとしたのだった

しかし決して「暇」な子ども達が集まったのではない 何方かと云えばその反対のようで……

 

※網走セーリング協会の3名のキャプテンのご好意で 2艇でそれぞれ2周遊して頂きました

子ども達へのご配慮と風に向かって前進出来る仕組みの明快な解説 改めて深謝申し上げます

濤沸湖サイクリング

◯濤沸湖一周サイクリング  22年 晩秋 参加2名  文責S

 

前回から随分間が開いてしまいましたが こういう天気に左右される企画はタイミング勝負で

一回ほんの少しでも どちらかの都合が合わないと どんどん日程がズレていくものでして

だから何でもそうですが 偶然お互いに空いていてお互いにそんなことをしたい気分だった

なんていうのは ひょっとすると奇跡の様だったのかもしれないと感じる事があるのですが

今回はまさにそんな偶然の連続で俄に連絡を取り合い 正に気付けば一緒に走っていたのです

 

心地よい秋晴れの中 水鳥湿地センターに8時半に集合しました お互いに体調は万全です

網走湖より周囲のアップダウンは無く 距離も25キロ弱の行程と短いのですが 油断は禁物

走りきるだけが目標ではありません 前回上手くいかなかったラジオ用の録音も懸案事項です

部長は今回から新車の〈ロードレーサー〉に乗り換えました お尻当ての付いたパンツも履き

すっかり自転車乗りのスタイルで登場しました また所々置いて行かれそうな予感がします

 

網走市側の湖岸に沿ってスタートし 朝日に煌めく水面や巣作りをしている様なリスの実況

上り坂の先の畑から一斉に飛び立つ水鳥の群れを眺め 音も無く木の葉が舞い散る道を抜けて

原生花園側の湿地で最後のオヤツ休憩 この分だと余裕でお互い午後の予定に間に合います

ふと若い頃の自転車旅行を思いだしていました 東京から網走まで帰ってきた真夏の貧乏旅を

あの頃は金も信用もなんにも無かったけれど(今だって) 時間だけはあったんだよなぁ……

第2回風とあそぶ会

◯第2回風とあそぶ会   22年  初冬  参加者27名 文責S

 

今回は〈凧〉と〈蛸〉の会です 子どもの頃から教えて貰った通りの事が出来ない性質なもので

凧作りは上手く出来た試しが無いのです そこは強力な講師陣にお願いしてさっさと厨房に退散

朝9時集合からたこ焼き作りに励みました 毎回食べ物を扱うたびに思うのですが いつから

こんなに 油断すると訳の判らないモノを食べさせられてしまう世の中に なってしまったのか

残留農薬に添加物や遺伝子組み換えの基準の緩さ 米国に言いなりの動物実験の如き輸入品等々

 

今日のたこ焼きだけはそんな訳には参りません こんな事もあろうかととっておきの梅酢の出番

1キロ千円もする海塩で漬けた無農薬南高梅から上がった純産です こいつに高松で買って来た

新生姜を漬けたのが先月 しかし紅生姜だけで悦に入っている場合ではありません 粉は地元の

きたほなみです 小口製粉されているイソップさんのものを購入 これに天然アゴだしを粉砕した

ものと大阪で買った「こんぶ土井」の粉末を入れて 網で二度振るいました 問題はメインです

 

前々日から 網走産蛸を探しスーパーを回りましたが出ていません タコ運がないのか不漁なのか

蛸焼きには頭の方が向いていると思うのですが全く見かけません そこで魚専門店へと駆込んで

明朝までに網走産の一番良い蛸が1キロ欲しいと頼み込んで 前金を払い遂に刺身用の蛸を確保

ネギは母の手作り キャベツは知り合いの農家 油と青のりは国産 天かすは手作り 鰹節は……

この辺りから糸が切れていい加減に…… チーズ、蒟蒻、ソース、マヨネーズとなんともかんとも

 

※どこでも竹とんぼオホーツクの会の古川先生を初め講師の方々のご尽力で凧は無事 子ども達の

歓声と共に秋空に上がりました 文末ながら改めて深謝申します 大変ありがとうございました

第3回 風とあそぶ会しんね新年会

◯第3回 風とあそぶ会 5年1月 「連凧と餅搗」  呼人コミセン 文責S

 

子どもの頃(半世紀前?)お正月を迎えるという事は 子どもなりの「精進」を要しました

年越しの買物に始まる御節の煮炊きや 狭い家をひっくり返すような大掃除に揉まれ乍ら

「怠けていると『善いお正月が来てくれない』ぞ」との 所謂強迫観念があった気がします

普段は手をつけない場所に父がハタキをかける姿に 幣束を振るような趣を感じたものです

神棚の中の一つ一つを新しい晒し木綿で拭くのは 7年前から私の役目になりましたが……

 

その正月風景から臼と杵が消えて久しいと嘆き乍ら 一抹の淋しさを半ば諦めて居りました

賑やかな元旦の主役は 玄関先に鎮座した「さるカニ合戦の大将のような」大きな臼でした

餅米が蒸ける湯気の向こうには 若い頃の叔父叔母や祖父母に混ざってあの頃の私が見える

慌ただしい台所の母の割烹着姿や 日本手拭で鉢巻きをして杵を振るう父の姿があるのです

翻って今の私は 晴れて餅を搗く資格があると胸を張って云える生き方をしているのか……

 

買ってくれば済むものを 恐らく倍のお金と計り知れない労力をかけての餅搗きになりました

餅米の蒸かし方は井戸さんの義母様と奥様が前日から立ちっぱなしで(餡餅の差し入れまで)

連凧のご指導は前回の凧上げ同様「どこ竹」のお三方が(子ども達に貯金箱のお土産まで)

雑煮やきな粉の仕度は 小野塚顧問率いる桂陽高校ボラ部とそのOBの方々の骨折りのお陰で

心地の良い賑わいに揉まれながら50年前同様 私は只只「お正月」を眺めて居りました

​ 北海道新聞 掲載

網走タイムズ 掲載

網走タイムズ 掲載

「それ聞いてませんよ」と云われる事が多いのです 勝手に事を進めて後々食い違う原因なのですが

協調性が無いので ひとりで出来る事をひとりでコソコソやってきたので 説明するのが苦手でして

甘えた話だと承知で云わせて頂くと 説明している内に今あった面白さが逃げていく気がするのです

よくない癖で「説明させないで 云わなくともわかるでしょ」と すっかり思い込んでしまっている

ところが実際は意図が全く伝わっていない事を 今回久しぶりに実感したので戒めの為に記録します

 

◯餅米に執着して1、低農薬で2、ビニール袋に入っていない3、精米したてのものを買いました

◯きな粉は東藻琴高校の大豆を擂鉢で潰し 厳選した三温糖と混ぜて作りました が、実は擂鉢では

二時間程擂ったり叩いたりしたのですが あまり細かくならず 最後はフードプロセッサーで何とか

◯干支に因んでウサギ汁 ボラ部小野塚顧問に「まさかの骨付き肉」と指摘され……仕込は後の祭り

命名の由来も(右左喜ぶという字をあててお目出度たく)兎肉なの?とちょっと驚かせるドッキリも

 

◯前回同様「どこ竹」講師のお三方のご尽力で五連凧が出来上がりました 「年頭の賦を凧に書いて

言挙げしたい「正月はハロウィンとは違う」「アフガニスタンの凧上げ禁止の話」全部云い忘れ…

◯小型カメラを凧に付け上空から動画を撮影しようとしたのですが カメラのオンオフを勘違いして

取り付けた凧を下ろしてから家に帰るまでの私のポケットの中の様子が撮影されていました…あーあ

凧が翻るとオホーツク海や知床連山 そしてちっぽけな私達が映し出され 改めて新年の風を感じて…

 

◯井戸さんのお義母様奥様に深謝申します 前日から 潤かし 蒸かし 餡餅まで御馳走になりました

もしも次回があるとしたら 皆で餅もっと搗きをしたい 臼と杵での搗き方がこの先々にも伝わる様に

第4回 風とあそぶ会 イグルー

◯第4回 風とあそぶ会 23年2月   「イグルーで 寒風封じて 冬キャンプ」

                鱒浦海岸 井戸基地                                                                 

北海道新聞 掲載

読売新聞 掲載

網走タイムズ 掲載

網走タイムズ 掲載

NHKニュース

HBCニュース 「 今日ドキッ! 」

HBCニュース 「 Nスタ 」

第4回 風とあそぶ会 5年2月  「イグルーキャンプ」 鱒浦井戸基地     文責S

 

天候に恵まれない時「やはり日頃の行いか」と思うのは 心当たりがあるからなのですが……

それにしても降ってくれない 網走地方の何年に一度の雪の少ない冬に当たってしまいました

餌を運ぶ燕の如く 石黒さんの4tトラックが雪を集めて会場まで幾度行き来した事でしょう

しかし積まれた雪は我々をあざ笑う如く ミキサーにかけたグラニュー糖の様にサラサラです

寒風の中バケツリレーで水を撒き 重機で踏み固めるという作業を繰り返し当日を迎えました

 

ガチガチに凍ってしまった雪の塊は スソーソーでは歯が立たず 途方に暮れかけたその時

田中さんがこれをチェンソーで黙々と切り出し始め ついに積み始める事が出来たのですが

午後になってチェンソーのチェンが切れるという事態に…… 過剰な負荷ゆえの事でしょう

当初完成予定は正午だったのですが 18時になってもスカスカの天井でドウニモコウニモ

子ども達が帰った後に組み直し 作業開始から11時間の21時に 漸く形になったのです

 

「吹雪の中の自己紹介ゲーム」に始まり「流氷切断」「クリオネ捕り」の予定外行事を経て

石黒さん自作の道具が冴え渡った「バームクーヘン作り」夕闇迫る中「フローズンパンツ」

そして「寒中闇鍋」という怪しい晩ご飯 桂陽ボラ部から頂いたアイスキャンドルの灯りが

見守る中での寒中「ミニ運動会=借り物競走」と盛りだくさんの一日だった……その真夜中

マサカの釧路沖震度5の地震 嘸かし寝られぬ一夜だったかと ※更に駄文を別記致します

 

※SPthsnks お手洗いをお借りした毛利家 寝袋を借りた(株)モンベル 他多くの方々

今回の『風とあそぶ会』はいかがでしたか

ときどき「吹雪とあそぶ会」だったり「流氷とあそぶ会」になったりしましたが

はじめてのことが多くて なれないことばかりで きかくはドンドンへんこうされて

よるはくらくて  ふろにもはいらず ねどこはさむくて《つかれた》でしょう

かぜをひいてなければいいのですが……

 

よなかの2時 くものあいだから 北斗七星が うみの上にあらわれました

2つのイグルーのあいだにすわって こいちじかんほど ひとりでながめていました

ちいさないびきがきこえていました ねごともきこえました

しゅうごうしてから どんなことをしたか さかのぼってかんがえました

23日のあさから いっしょにイグルーをつくったことを おもいかえしてみました

 

のこぎりをつかったり おもたいかたまりをはこんだり さかをのぼったりおりたり

だれかがすべってころんで こおりにあたまをぶつけたりしなくて よかったな

でも ちょっとしたことで もしかしたら だれかがけがしていたかもしれない

炭火でやけどしたかもしれない ガラスのビンがわれて手をきったかもしれない

そんなことがなくてほんとうによかったな と 星空をみながらおもいました

 

じしんがあったけど なにごともなくって ほんとうによかった

ほんとうに ほんとうによかった ほんとうに ほんとうに ぶじでよかった

もしも…… とかんがえると とたんに 心がばくはつしたようにこわくなりました

もうちょっとでも つよくゆれるような おおきなじしんだったら

てんじょうをのこしていて そこからイグルーがくずれていたら そのあとつなみがきていたら

 

イグルーでねているよるに ぐうぜんちきゅうが きせきてきにゆれたということよりも

みんなぶじだったことのほうが《きせきにちかいぐうぜん》なのでは とかんがえました

まとまらないきもちでいると こどものころ この浜にきたことをおもいだしました

なつやすみ ともだちとふたりで あんまりおよげないのに およぎにきたのです

50ねんもむかしのことなのですが あの七歳のなつの日に もしも もしも……

今回の『風とあそぶ会』で「たのしいな」とおもったところがちょっとでもあったとしたら

それこそが きょうりょくしあったなかまたちとの《たすけあい》や《ゆずりあい》がおこした

つかのまの まさに星のまたたきほどのいっしゅんの《きせきにちかいぐうぜん》なのかも

とおもったんです ということを いいのこしたきがして さくぶんしました

次回も ばんなんをはいして さんかしてくれることを じっとくいちどう きぼうします

 

◯翌々日 子ども達宛てに送ったものです おかげ様で実り多き会になった気が致します​

第一回スープ短歌の会

第一回スープ短歌の会  3月 ラジオしょうねん団収録     文責 S

 

随分以前ですが NHKの俳句の番組で 金子兜太先生(「先生」で良いのでしょうかね

いつ頃からか猫も杓子も「先生」と呼ばれる様になって仕舞 呼ぶ方もそう云っときゃあ

当たり障りが無いだろう程度の腹で 教えを乞う訳でもないのに…… だからといって

「宗匠」とはどんな声で発して良いか判断に迷うし 私ナンゾが「さん」で呼びかけては

失礼だと思いますので 分からない儘先生で話を進めます)にお会いした事がございます

 

好きな方に偶然にもお目に掛かることが出来るのが この商売の数少ない喜びの一つです

スタジオ前でピンマイクを付けられていた兜太先生に 怖ず怖ずとご挨拶したのですが

私が名前を言い終わらぬうちに大きな声で「あー うんうん あーあー」と仰ったのです

「おまえさんがそうか」という風ですが 私には「会いたかったよ」とまで響いたのです

目を見乍ら私の三度肩を叩いて下さった この時の事を私は一生忘れないと思っています

 

そんな思いを抱えての 久しぶりの千賀子と音花との収録でした(千賀子の弟の篤ちゃん

の声も入っていますが) 自分のやっている事を 説明し乍ら料理を作るというのは

料理番組ではお馴染みですが 実はやってみると中々難しい事がわかります それでも

方向は間違っていないのではないかと感じられる収録になりました「目指せ! 網走の

グラハム・カー」と云った所です(世界の料理ショー覚えている方は結構な年齢ですね)

 

※問題の短歌は前衛俳句の旗手だった兜太先生も頭を抱える様な「見事な」出来かと……

第五回風とあそぶ会

第五回風とあそぶ会 4月 「ふいてふいて吹き飛ばせ」呼人コミセン  文責S

 

この3年の間 世界中が息を潜めて暮らす事を余儀なくされてきました「え、世界中?」

本当にそうだったか 確かめに出かける事も儘ならなかったので「世界中かどうか」は

少なくとも私にとっては謎の儘です しかし身の回りを顧みると 咳やクシャミを睨み

マスクに隠れて 呼吸を細くし乍ら 黙って飯を喰う事を強いられていたと感じています

然したる疑問を持たぬ儘ワクチン摂取し 人と交らずに満ち足りる神経を刷り込まれ……

 

この先 地球上のどこで 心の底から安心して「深呼吸」が出来る日が来るのでしょう

大気中のウイルスとナノプラスチックとその他産業由来の科学物質とを吸い込まない為

私達はどんな形で如何なる値段の「毒ガスマスク」を付けて生きる事になるのでしょう

今は(感染は増え新種の変異はあれども)束の間の「休戦」の時だと感じては居ませんか

さらにこの3年間は 次にやって来るもっと過酷な長期戦への 単なる訓練だったのでは

「ふいてふいてふきとばせ」と告知を致しました

今一度コンセプトを振り返ってみようと思います。ひとつ目の吹くは「壜吹き大会」 

各々持ち寄った各々のガラス壜を篠笛に口を当てるが如き要領で一人一音づつ受け持って

合奏しようと云う試みです まず40人程が持参した壜を鳴らしてみて……

(ところが緊張するとこんなことでも案外難しい)壜に水を足して音を調整し7音階が

なんとか完成となりのトトロの「さんぽ」を合奏致しました 音楽としての完成度は

兎も角息を吐く事が肝心です

 

二つ目はアツアツのパスタをヤケドしない様にフーフー吹き 冷ましながら食べよう

というものです。実はこの「フーフー」はあまり行儀の良いものでは無いようで

国際的にみてもアツアツのものをこんなに好むのは珍しい事なんだそうです アメリカ人が

湯気の出ているピザを頬張るシーンなどは映画ではあまり見かけません。兎も角

イタリア仕込みのデミベースとブロッコリーソースの二種を用意。春らしいファルファーラ

というパスタを其々茹でて皿に盛り……キッチンから運ぶ間に冷めたようです

 

三つ目の吹くは紙飛行機です

日本が世界に誇る紙飛行機の権威二宮康明博士の設計による飛行機を今回の主旨にご賛同頂き

また日頃のお付き合いもあり(株)あおぞらさんに全機ご提供頂きました

丁寧に作り条件さえ揃えば視点限界を超えて 何百キロ先まで飛ぶ事という類を見ない名機

なのですが この日は雨模様 まずは会場隣の体育館をお借りして試運転……

午後からいざ外に出ましたが風が強くて中々 それでもゴムを手一杯に伸ばし

息を吹きながら呼吸法で飛ばして楽しみました

「声を出すには息を吸う事 吸う為には先ず吐く事」とは 亡き師二代目山陽の教えです

見習うべきは「赤ん坊の泣き方」でして 小さな身体に響かせてあんなに大きな声が出る

大人はそれを忘れてしまっているのです もうあんな風にはきっと…絶対泣けないのです

この会でやりたかった事は「フーしてフーフーし乍らフッとすること」ガラス壜の演奏も

アツアツパスタも紙飛行機も あの頃の呼吸を思いだす為の細やかな仕掛けだったのです

 

※使用機は「株式会社あおぞら」   ホワイトウイング スカイカブシリーズでした。

   改めて深謝申し上げます

風とあそぶ会 5月合宿

風とあそぶ会     5月連休 「登山とサイクリングと火起こし合宿」まんまんかん 文責S

 

メンバーの井戸氏が大きな庭のある市内の一軒家を この活動に充てるため「解放」して下さり

三泊四日の合宿を行いました。※この家は『まんまんかん』と命名されました。

というのも 元々じっとくは「子ども達のやりたいことに付き合う」というのがコンセプトなのですが

その子ども達の「やりたいこと」を相談して貰う場所を設ける機会がなかったのです

「やりたいこと」なんて 改めて相談しなくてもいくらでもあるでしょ…というのは見込み違い

だったと感じたのです

 

実際に野外で活動をしてみることで「もっとこういう事がしてみたい」という意見が表れるに違いない

ただ漫然と時間を過ごす遊び方ではなく 目的を持って時間を有効に使い 意義のある一日を共にする

ヒマつぶしとは全く異なる遊びの発見から経験したことを 充実した人生送る為のキッカケに成る可く

……否々 遊びというのは(大人も子どももそうだと思うのですが)意味を求めてはいけないのでした

縦しんば個人的形而上(?)では求めていたとしても それを強要などしてはいけないものなのですよ

 

3年前「遊びの科学」というドキュメンタリーを見ました 東西の科学者がラットは勿論のこと爬虫類

蛸に至るまで 皆遊び心を持って遊んでいる 子ども時代に遊ばなかった個体は社会性に欠けると云う

動物行動学者ゴードンバーグハートは遊びの基準として次を上げている①行動に明確な理由が無い②何度

も繰り返す③時に大袈裟④自然発生的⑤ストレスが無い状態で行われる 京都の「わくせい学校」代表

敬子先生も「居ていい場所を 作ることね」と仰っていたっけ 余計なことは要らないのかもしれない

夏のキャンプに向けた活動の内容を考える為の 具体的な一回目の合宿になりました

世間で云うゴールデンウイーク中の3泊4日を「キャンプ前の会議」を開催し 合間には朝から行事を

組んで 活動し乍ら企画を模索するという試みです これぞ正にギリシャの哲学者アリストテレスが

歩き乍ら講義をしたという ペリパトス派の様ではありませんか

(尤も私は犬儒派のディオゲネス寄りなので 昼間から酒樽に寝ている方が好きですが)

 

サイクリングは網走湖一周です 父兄の参加も含め20名の賑々しいライドになりました

網走サイクリング協会の吉田さんに先導頂き 最後は天都山を越える約50キロのコースを無事完走

致しました 翌日は「どこ竹」の古川・蔦林両講師による竹竿作り教室です網走にも竹(篠竹)が

生えているのです 初めは柳の木等で試行錯誤していたのですが竹竿の登場で大漁が現実化して

きました 上手くいけばキャンプ中は魚で満腹かも……

 

登山は摩周湖を見下ろす西別岳です これまた父兄会わせて25名程で賑やかなパーティ

6時にまんまんかんを出発し 8時半に登山開始 11時過ぎに全員登頂を果たしました

昨晩各々が握ったお握りの昼食(コゲコゲの卵焼きとウインナーのオカズ)の後 程なく下山開始

13時には皆無事に居りて参りました 

私が落車転倒したり トラックが砂浜で埋まったり 登山もキツかったらしいけど 日々平安でした

強制的な早寝早起きと粗食(何しろ私が調理番)のお蔭か腹痛も無く夜な夜なの会議も思った以上に

捗った4日間でした

第六回風とあそぶ会  令和5年5月

「これぞイタリア直輸入 世界初ちょび髭子ども会議」水鳥湿地センター 文責S

 

2005年秋から一年 文化庁派遣の文化交流史として渡伊させて頂きました 全く有難いことでした

この時縁あってフランチェスコトヌッチという大学教授から「子どもの為の街作り」という理念と方法

をバカンス中の先生の故郷に押し掛けて お教えを乞い 帰国したらいつかはコレをやらなくては……

と3日に一度は気が差しながら 帰国から13年も経ってしまい「嗚呼已んぬる哉な」と思いかけた所

漸く機会を捉えそれらしい状況とそれに沿ったテーマ またその子ども達と漸う巡り会わせたのでした

 

前回のまんまんかん合宿中 キャンプについてどんなことがしたいか その理由と会わせて子ども達が

三回の会議前会議を開いて夜な夜な相談し それを雇われ座付き作家のように(イメージは往年のドラマ

「淋しいのはお前だけじゃない」の西田敏行)私が纏めさせて頂き 当日早々に集まって読み合わせて

割り台詞の会議の台本を読み込んで いざ網走の市長、教育長、支庁長の到着を待ったので御座います

この席で私達は「新モヨロ人キャンプ宣言」をしたのです 以下は会議の中の文言の抜粋でございます

 

「千三百年前にこの地に渡来し独特の文化を築いたモヨロ人」「その知恵と心意気に学びオホーツクの

自然に生かされているという喜びを分かち合う」「さらに世界中に呼びかけ世界中の子どもが新モヨロ

人になったらどんなに良いか」「国境もない差別や偏見も紛争も戦争も無い 奪い合いや騙し合いも

自分の利益ばかりを考える人等一人も居ない世の中を想像して下さい」「新モヨロ人が一致団結して

温暖化を始めとする危機的な問題を解決するために それぞれの才能を生かして 協力しあうのです」

 

市長,教育長,振興局長を「呼びつけて」付髭した子どもが未来に関する提言をする試みです。

忙しいお三方には前もって当日参加のメンバーの小学2年生の女の子から 断り難くなるような直筆の手紙を送っております それは「ドングリと山猫」の召喚状よりももっと可愛らしく「バージニアからサン新聞への手紙」よりも心を動かす ステキな文字と文面でした。きっとティンカーベルがお尻を振って、その便箋に魔法の粉をかけたのでしょう 無論私も負けない様にクドクドと 当日のお誘いを申しましたが……以下はその一部分でございます

 

『余談になりますが「子ども会議」は 私にとりましては年来の念願が叶ったものでして

2005年文化庁派遣の文化交流史に河合隼雄先生から任命を受け一年間渡伊いたしました

ローマで「子どものための街作り」を展開していたフランチェスコ・トヌッチ氏の知遇を得

薫陶を受け方法論を身に付けて帰ったのですが その機会を得ずに惜しい思いで居りました

今回18年ぶりに開催の運びとなりましたのは偏にご出席の皆様のお陰と感慨を新たに…』

 

※水谷市長 岩永教育長 中島振興局長 お忙しい中 ご出席真にありがとうございました

※午後は調理教室 名店「ソルト&サン」川内オーナーの指導で全員で焼ウドン作りでした

※何故髭を?ですって? それは子ども達に訊いて下さい 其々の名答があるはずです…きっと

​北海道新聞掲載

道新  みずなら524.jpg
ちょび髭会議記事520.jpg
第六回風とあそぶ会

第七回 風とあそぶ会  6月 「モヨロ人研究会」  まんまんかん  文責S

 

先月に続いてまたまた合宿企画です 昔から「寝食を共にする」「同じ釜の飯を食う」とは申しますが バーチャルの方がリアルに感じて居るであろうと思われる現代ッ子に果たしてこんな「浪花節」が通用するのか…… したかどうかは解りませんが登録者全員の参加ですどうやら彼らは 企画云々よりもここで知り合った友達に会えるのを楽しみにしている様子しかし目的は児童館では無いのです ちょび髭会議を経て新モヨロ人として船出しなくては

 

まずは米村元館長を頼ってモヨロ貝塚館へ研修です 今回のキャンプの為に編集して頂いた映像を見乍ら モヨロ人の「食」と「住」についてのお話を伺います 夏より冬の方が食料が豊かだった事や夏の家と冬の家の話 貴重なお話を伺った後 全員で復元した住居の中へ各々がキャンプへの想像力を膨らませて欲しい瞬間でした 1300年の間に私達は何を得  何を何故失ったのか 本来の生活とは 自由とは 保障とは 生きる事とは何かへの想像を

 

餌はミミズを恐る恐る捕まえて 救命胴衣を付けて いざ網走第三埠頭へ11名で出発です  ほとんどが釣り初体験であったにも関わらず 石黒さんと木村名人の指導のもとガヤやソイ約100匹を釣り上げました 名人が捌いてくれたガヤを煮て 翌早朝は浜小清水の海岸へ流木を集める筈が気付けば皆すっかりズブ濡れ それでも午後からは流木で箸作り 小刀で拾った木を削ります 石黒さん苦心の楢の器も磨きをかけてと モヨロ仕度に忙しい2日間

6月 モヨロ人研究会

オホーツクサイクリングに参加 R5年 7月 文責S

 

今でも何をやっても愚図な処があるが 補助車を外して乗れる様になったのが 友達に比べ

格段に遅かったのだ オフクロに支えられて幾度も土の上に転び転びし乍ら漸く乗れた時は

宙を飛ぶが如き気分であった 初めて泳いだときも 逆上がりが出来たときも嬉しかったが

自転車は格別で これで自分だけの力で もう何処までも行けると確信した わざわざ帰宅

門限までに帰れないかもしれない処まで乗って行き 大急ぎで帰る夕焼けの道が好きだった

 

19歳の夏に 東京から網走を目指して三人旅をした 最初の本格的な遠乗り野宿の旅だ

梅雨前線に追いかけられ乍ら国道4号線をヒタスラ北上 5日目に青森でねぶたを見た時

すでにヅル向けの日焼け状態であった この時の自転車は後に鹿児島で金がなくって売って

しまったのだが 様々な事を教えてくれ苦楽を共にし「曲垣平九郎の愛馬の如き」であった

その後結婚しようと思い長旅は諦め やがて入門して修行に入り 自転車とは疎遠になった

 

出発前の開会式で 幼い女の子がお父さんと一緒に宣誓をした この子が大人になった時に

「自転車という乗り物が今日の様に存在するのか」と思った 将軍職を追われた徳川慶喜は

最新式を乗り回して憂さ晴らしをした件は別として 私が幼い頃に見たソレはほとんど働く

自転車であった 郵便も新聞も配達し リヤカーを引っぱり魚や野菜を運ぶ無骨な商用車だ

電動位で留まってくれるのか 近いうちに宙を飛ぶのではないか そんなことを思っていた

7月 オホサイ

北方民族博物館訪問  R5年  7月   文責S

 

笹倉学芸員にお知恵をお借りしたく「新モヨロ人キャンプ」について忌憚の無い所を伺った

こちらの前勉強の準備不足にも関わらず 丁寧で貴重なお話の連続であったが その中でも

心に残った点を記したい ①縛ること 船も家も釘ではなく「紐」で縛ることで組み立てて

いた 今日は簡単便利な接着方法で 下手をすると靴紐の手間さえ不要である 縛る行為は

手を使う動作の中で 非常に重要な神経と結びついているのではないだろうか そう感じた

 

②紐とは何か 釣りのテグスがプラスチックであるとの指摘を受けた 1300年前は当然

そんなものは存在しない では何で…… 時間を遡る為の想像力は 実はこういう事が糸口

であるべきでは パソコンが無かった頃は 電話が無かった頃は 電子レンジがお金が等々

今日我々が絡めとられている過剰な便利さの縺れをを解す事の重要性を思う では何を……

差し当たって注連縄でも作ってみたいものだ 稲藁が大切な事を教えてくれるのではないか

 

③来客について「衣食住よりも大切にした物は何だと思いますか」との質問に戸惑う子供達

「新しい道具や情報 珍しい物語を運んでくる 初めて会うお客様」との答えにピンときた

のは何人いただろうか サピエンス全史で指摘された「認知革命」を例にするまでもないが

我々にはアイデンティティを確信する為に「物語」が必要である 自己を自己として認める

には対象「他者」が重要である 笹倉さんは「夜な夜なお話を楽しんで下さい」と結ばれた

7月 北方民族博物館訪問

雌阿寒登山 R5年 7月  文責S

 

参加者10名 網走を6時50分に出発 オンネトー登山口に8時半着 年に何度も登る山なのだが 季節と天候によって全く表情を変える 晴れていても山頂だけ瓦斯がかかったり  残雪の春山がショートカット出来て楽に下山出来たり「どの程度辛いか」は一概に云えない  この日は気温が高く 6合目までの木陰を行く道でさえ大汗をかく程だった 重い足取りの子と先頭が次第に離れてゆく 8合目を超えた辺りで仔鹿が僅かの緑を食んでいた 珍しい

 

山頂に着いた頃は皆水筒が空に近かった 上温湯隆の例を出すまでもなく「渇する」ことは死に近づく事である 引率を買って出てくれたりほさんが予備に4リットル持参してくれた分もすでに尽きている 加減し乍ら水を呑む事を伝えなかった私の所為か…… しかしそんな事は常識だろうとも思う 山も海も自然を舐めてかかってはいけない 必ず痛い目に合うのは不用心な時だ 日常から水に困るべきである 世界中が「湯水の如く」ではないのだから

 

しかし 奇跡的に水を分けてくれる方と居合わせたのだ 訓練の為に大量の水を背負って上がって来たという 釧路からきた医学療法士の男性 お名前は伺えなかったが こんな奇特な方のお蔭で 子ども達は萎れた浜昼顔が夕立にあった様に生き返り13時半に下山  途中「クマヤキ」や「コーラ」を御馳走になり 着網走ではすっかり元気になって居ました将来この子達の中の1人でも 余分に水を持って登山する心がけを抱いて欲しいと祈った

8月 着到について

着到について  8月   文責S

 

まんまんかんの大家さんは井戸さんです 大家さんのフトコロで我々は集って居ります

じっとくがスタートした頃 よくエコセンター等の会議室で相談をしていたのですが

どうしても面白みが感じられませんでした 楽しい集いは以外と「場所を選ぶ」のです

良いアイデアが出るのは机上ではなく 案外「小屋」や「物置」で作業をしている時で

それはソノ場が作業する場として生きている事の「他ならない証」の気がするのです

 

ワークショップの事をイタリアでは「ラボーロ」と云います 仕事や作業が第一義です

時として自然の働きにも使います lavoro dei ventiは「風の作用」と訳すのでしょう

まんまんかんで今後行われる事の多くは この「作業」感覚に近いものになるでしょう

共通の「目的」を持って集まり 楽しさの共有を模索する為に「作業」をする場所です

井戸さんはたくさんの顔を持っていますが 私の知る限り その第一義は職人さんです

 

修行で叩き上げた精神を元にサイクリングも消防団も市議会議員も見事に熟しています

石黒さんが立派な板を持って来て あっという間に玄関左に着到板を作ってくれました

元々芝居用語の「着到」とは聞き慣れない言葉でしょうが 舞台に立てる役者の名前が

刻まれた札の事です 着到が外されていたら楽屋にも上がる事は出来ません さあ一体

次来た時に君の名前はかかっているでしょうか 一人一人に精一杯の作業を期待します

 

※磨いた着到に名前を書いてまんまんかんに来て下さい 表は黒裏は赤で書きましょう

※lavoro には「厄介」という意味もあります 是非「素敵な厄介」を持ち込んで下さい

7月雌阿寒岳登山
扉の絵について

◎扉の絵について     漫画家 森雅之さん  文責S

 

一方的なファンとして作品を読んで居りましたが 20年程前に知人の紹介で引き合わせて貰い

以来折々ご一緒させて頂いて楽しい時を過ごして居りますが なぜか雪の中の思い出が多いのです

森さんの絵の中に 時折マフラーをぐるぐる巻いて白い息を吐いている子どもが登場してきますが

森さん自身もそんな風に 待ち合わせの場所で毛糸編みのボッコ手袋を振って笑っているのです

この絵をお願いに行った日も背景は雪景色だった気がします テレビ塔の地下で待ち合わせたのに

 

森さんの描く子どもの姿に昔の自分を見るのは 言葉に出来なかった機微を描いてくれているから

持って行きどころのない戸惑いや 果敢ない一瞬の忘れ難さを懐かしい色に塗り替えてくれるから

ファンの身勝手で穿ったつもりで生意気な口を重ねるならば「ほら あの時一緒だったよね」と

思わず云ってしまう様な そんな勘違いさえ許される様な甘えた気持ちにさせられてしまうのです

『銀の匙』の評を借りるなら(ギリギリ子どもが使いたい言葉だけになって)いるからでしょう

 

「全国からヒッチハイクで子どもが訊ねてくれる様な場所を作りたいんだけど」と森さんに云うと

「そっちの『じっとく』なんだね」と返事が返ってきました 打てば響くとはこの事なのですが

最も 響いてくれた森さんという鐘が大きすぎて こちらの鐘木がまだまだ追いついておりません

ロゴも含めて素人が思いのままの勝手を申しましたが ご覧頂いている様に纏めて下さいました

いつかそんな場所が出来上がった暁には 壁一面に森さんの好きな星空を描いて欲しいとも……

じっとくの由来

「じっとく」の由来

権威に媚びず常識に捕われず贅沢に時間を使う

『じっとく』名前の由来

 

あるおぼうさんが やまのなかで あかんぼうをひろいました

ふしぎなことに なきもせず いわかげで じっとしていたそうです

やがて じっとくとなづけられ おてらを てつだうようになりました

 

おとなになっても おきょうをあげることは いたしません

ぼろをきて それにまんぞくし けっしてえらくなろうとはせず

まいにち めしのしたく そうじ はたけしごとのくりかえしです

 

ひょうひょうとくらすすがたは やがて せけんのしるところとなります

その ひととなりをきいた やくにんが わざわざとおくからやってきて

うやうやしくあいさつをする と・・・

 

ともだちの かんざんとともに おおわらいして にげだしたそうです

なぜわらい なにをわらい なぜにげた なにからにげたのでしょう

 

 

この風狂僧の名を 私達の活動法人に いただきました

 

  

『その探検を応援します』

 

高い山に登ってみたい

筏で川を下りたい

木登りをして遠くを眺めたい

雪の家を作ってキャンプしたい

自転車でどこまでも旅してみたい

 

わかりました!

やりましょう!!

 

まず

どうやったら実現出来るか話し合い

計画表と必要なモノのリストを作りましょう

来るべき楽しい出来事を思い描きながら

準備にきちんと時間をかけましょう

私たちは君のその『探検』を応援します

 

なぜなら

今の君と昔の私はよく似ているから

私も自然の中でたくさん遊んできたから

今でもそのことを大事に思っているから

その探検がどんなに自分を誇らしくしてくれるか

やりたかったことが本当に出来た時どんなに嬉しいか

 

楽しくて

眠るのが惜しいような遊びの時間は

ほかの何よりも大切だということを

私たちは「昔の大人」に教えて貰いました

手取り足取り叱ったり褒めたり慰めたり笑ったりして

たくさん応援して貰ったのです

 

だから……

君のやりたいことを

「じっとく」に話してごらん

できる!

できる!

君はきっとできる!

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