​​ひとりごと

 

◯モヨロ貝塚見学   21年 初夏 のべ20名参加   文責S

 

施設が新しくなってからも 来道した友達などを連れて幾度となくお邪魔して居りますが

人骨の展示に来ると 卯原内小学校の頃に社会見学で薄暗い旧館に来た事を思いだします

「いつかはお前も〈野ざらし〉でこんな風になるのだ」という声を聞いた気がしたのです

人一倍臆病だったからでしょうか 分からない乍ら漠然とした無常の感を得た様に思います

以来 私にとって〈輪廻〉や〈魂〉や〈無漏路〉などに思いを馳せる博物館なのです

 

今回は特別に網走博物館の米村館長の解説で館内を回り 様々に認識を新たに致しました

特に 米村館長の御祖父様に当たる「網走三奇人の一」と称された米村喜男衛氏の逸話は

この貝塚の数奇な発見とその発見者のお人柄に 心引かれるものを強く感じました

毎回なにがしかの発見を得るのが 博物館の楽しみの一つではないかと思っています

米村館長に子ども達から 活発に質問がなされた様子を見て やや安堵しました

 

殊に 再現された住居の中で「風呂とトイレはどこですか」という質問を聞いた時には

その子の頭の中で一瞬でも「もしもこの時代に生きていたら」という想像が働いたのでは

と考えると この企画が多少大人側からのゴリ押しであっても やって良かったと感じました

私達は 何億年経っても結局「恐れ」と「祈り」と日と月と星の下に生きているのですから

そう云う事が宗教や科学ではなく 各々の哲学として響いてくるべきだとも 新たに思いました

 

◯帽子岩探検    21年 初夏 参加者20名程             文責S

 

じっとくの活動の眼目の一つは〈探検〉なのですが この定義が難しいと感じて居るのです

鳥も通わぬ極寒の地に行ったり砂漠をラクダで横断したり という事だけが〈探検〉では無い筈

世間(これの定義も難しい)とは異質な探究心を持って行動する事を そう呼びたいと思います

則ち 探究心がなければ 例え深海に潜ってムー大陸を発見しても〈探検〉とは云いたくない

丹田辺りから出た「ナニ?」という疑問を 吾が腑に落ちるための試行錯誤であって欲しいのです

 

実はモヨロ貝塚館の見学よりも 身近な所で こちらの企画の方が随分先に上がって居りました

それはラジオしょうねん団の団員のひとりと「帽子岩って登れるのかな」という「ナニ?」でした

私が子どもの頃は 帽子岩の周りで泳いだり 釣りをする父と一緒に近辺を歩いた記憶があります

いつから立ち入り禁止になってたのか? 誰がどう管理してどこまで禁止しているものなのか?

どこかに頼んで上陸する方法は無いか? と次々に「?」が湧いて来たのが〈探検〉の始まりです

 

じっとくの活動に際して大切にしている事は 子どものアイデアに乗って企画を進めるという事です

その子がやってみたい事に付き合う 教えるのではなく一緒に遊んでその背中を見て貰う姿勢です

関係各所にお願いして ヘルメットと救命胴衣を着用して 岩の裾に上陸することが出来ました

前出の米村館長に 古くは幣場(ぬさば)であったと伺い 思い思いの願い事をする事にしました

ドローンを飛ばし上空から帽子岩を見た結果 案外知られていない秘密に辿り着く事が出来ました

 

◯藻琴山登山   21年 夏 参加者15名          文責S

 

前回同様の前置きになりますが 登山という行為自体を〈探検〉だと思っているのではありません

気候のよい時期に仲間と一緒に身近な低い山に登る事は 娯楽の範疇のなるのではないでしょうか

その昔は遊山という言葉がありましたが 今の子どもの感覚だと遠足がしっくりくるのでしょう

ただ生まれて初めて山に登るとなると この緊張感がややともすれば〈探検〉めいてくるかも……

今回の始まりは ラジオしょうねん団のひとりの「一度登山をしてみたい」という発言からでした

 

きっかけの子に「学校の友達を誘ってもいいよ」と云うと あっという間に十数名が集まりました

まずは「どうやって小清水ハイランドの登山口まで連れて行くか」に始まり 車の手配と運転手決め

そして アウトドア保険の加入のための住所等の確認に医療箱の持参等々 やるべき事は多いのです

こんな事のほとんどを M氏にお願いしておりましたが 面倒な顔もせずサクサクこなしてくれます

彼とは近年土砂降りの斜里岳を振り出しに山仲間になりましたが 二人で行く登山はすっと気楽です

 

彼に補給食のアスリート用羊羹をよく分けて貰いました 私の様な酒呑でも山での甘みは別物です

プロレスの昔話などしながら歩いていると 気付けば登頂している様な出鱈目な登り方でしたが

しかし 今回はそんな呑気な事は云っていられません まして登山の様子をレポートして月末放送の

番組に仕立てなくてはならないのです 折り返しの銀嶺水での記念写真は至って呑気に見えますが

参加者に怪我をさせない事ばかり考えたこの登山は 私達にとって一番の〈探検〉だったのかも……

 

◯海岸清掃   21年 晩秋 参加8名         文責S

 

ラジオしょうねん団のメンバーが「流木や貝殻を拾って写真立てを作りたい」と言い出しました

そこで「どうせなら掃除しながら拾おうぜ」と 少しだけ企画にイントロ付けをさせて貰いました

さらに数ある砂浜の中から 個人的に思い出の多い場所 二つ岩の海岸を掃除する事に決めました

高校の頃夏ごとに足しげく通い 泳ぎ潜りキャンプして突いたり獲ったり……イケナイ事ですね

17歳の夏 夕日の落ちた暗がりで女の子と堤防に腰掛け手も握らずに過ごした事があったっけ

 

早速 分別御免というボランティア用のゴミ袋を T氏が市にかけあって大量に調達してくれました

こんなに袋は使わないだろうと踏んだのですが いざ拾い始めるとゴミばかり次々と目につきます

ペットボトル ビーサン 菓子袋 洗剤容器 釣り糸 バケツ ゴミのほとんどプラスチックです

噂には聞いていたのですが やはりハングルや中国語の表記のものが 大量に見受けられました

向こうは向こうで日本語ラベルの袋が 海水浴場や釣り場に同じように漂っているのでしょうか

 

海中のマイクロプラスチックは気候変動と並び 今から取り返しの付き難い世界的問題の一つです

ゴミの出所の犯人探しをすれば 日本人は世界的に非難を受ける事になるのではないでしょうか

我々は世界的に見て過激な過剰包装国民であり またそれを真剣に受け止めない無責任国民です

ナノプラスチックがナイロン素材の洗濯ごとに 大量に放出されることは知っている筈なのに……

この日集めた写真立て用の貝や綺麗なガラス片等は イントロのままフェードアウトしました

 

◯ラジオしょうねん団 初の生放送 21年 霜月     参加8名  文責S

 

結成当初から道新の全道版の記事にもなって 華々しく紹介されたラジオしょうねん団でしたが

実は感染防止を考慮して この日まで一度もメンバーが正式に顔を合わせた事が無かったのです

思えば説明会は二回に分けてディスタンスを取り その後の稽古もマンツーマンデひとりづつ

四月の一回目の放送は延期になり 翌月はそれぞれ自宅からリモートでの収録と多難続きでした

という訳でこの日は団員募集以来初めて 纏まった人数でこんな催しが出来る事になったのです

 

とはいえメンバー全員の都合は付かず 前日に入院してしまった団員も居て 生放送参加は8名

それでも割り台詞を読み込み 二人三人づつで何度も読み合わせを繰り返して本番に臨みました

だから8人全員が揃ったのは 驚くなかれこの日の朝生放送の30分前が初めてだったのです

それでも読み飛ばしもトチリも頭が真っ白で絶句する事も無く 無事30分間を乗り切りました

冒頭に機材トラブルがあって 時間も押していたのですが 皆良くやってくれたと思っています

 

じっとくのもうひとつの主眼の〈対話〉は 覚えたてのヘボ将棋に似た所があると感じています

同じくらいの実力のもの同士で 待った無しの勝負しているときが 一番楽しい筈なのですが

大切なのは自分の駒よりも 相手の出方を見つめる事 則ち聞き上手が肝要だと考えています

本人が思っても居なかった様な初めての事を口にする そんな力があるのが〈対話〉なのです

お聞き頂いた方に もしも和気藹々とした感じが少しでも伝わったら それは彼らの産物です

 

◯第一回餃子祭り     21年  生放送同日   参加のべ40名   文責S

 

じっとくのお披露目と ラジオしょうねん団員の保護者の皆さんとの顔合わせも兼ねての会食です

何故餃子なのかといった処から書き出してみたいと思い乍らこう云う事は秘した方が共思ったり

無意味に思える事に楽しさを感じるのは 意味の説明が興を削ぐ事だと云う裏返しなのでは……

寒中に裸で走り回っている者を見て「バカな事やってるねぇ」と笑い乍ら羨ましいと感じて居ます

ところがそれが信心の為の御百度参りだと分かったら 敬意を持ってしまって笑ったり出来ません

 

傍に真意なんか伝わらなくても良いのです 「なにやってるんだか」と笑われても構わないのです

時には謝って済む位の迷惑をあちこちにかけながら 膝を擦り剝く位の怪我をして 痩せ我慢して

倒れ込んでもパタパタ土埃を払い合って 洟をすすってまた立ち上がって 笑い合えたら良いのです

転んだヤツにしか走って躓いた意味は分からない それを説明する事こそ『野暮』ってモンでしょう

『野暮』は揉まれて丸くなるって云いますから キザにならなきゃ良いのです キザはいけません

 

と 長々お断りした上で じっとくの心構えを今一度ここでなぞっておきたいと思うのですが……

〈対話〉の末に生まれた企画に付き合うこと こちらから企画を持ちかけたりお膳立てしたりせず

参加者の探究心が〈探検〉に昇華するのをひたすら俟つ というスタンスで取り組んでみたい

子供達と一緒に餃子を作る企画が上がり 旨さを共有しようと全国の名店から数々取寄せしたのです

支度も後手後手になり お世辞にも上手く焼けたとは云えなかった餃子を皆で和やかに頂きました

 

◯第2回藻琴山登山   22年 春  参加4名   文責S

 

団員の「初めての山登り」に付き合うという姿勢は 一回目の藻琴山登山の時とほぼ一緒でした

前回と同じコースで小清水側から屏風岩を経て頂上へ 銀嶺水までいったん下りて再び小清水口へ

お弁当などの休憩を入れても全行程で3時間あれば 戻れるだろうと踏んで出かける事にしました

当日の朝 山の天気予報を見ると午後からは曇のち雨 1時間前倒しして肌寒さの残る網走を出発

登山ばかりではなく何でも当てはまるのですが 少人数だとこういう所に小回りが利いて有難い

 

さてさて この登山には元々「ラジオしょうねん団女子登山部」というタイトルが付いています

番組のコーナーとして 登りながら要所要所でロケも行い 帰ってスタジオで纏めもするという

まさに「探検」と「対話」とその両方の醍醐味を味わう事の出来る粘り腰の必要な企画なのです

今起こっている事を 状況が見えていない人に 即座に話纏めてすというのは 大変難しい事で

まして感激した風景の描写や疲労や達成感などを声にするのは それなりの訓練が必要なのです

 

しかしレポートの技術は無くとも 素直な気持ちが山での感動を言葉にしてくれるのではないか

そんな風に考えて収録を進めて行きましたが 予想以上に疲れてしまったらしく言葉少なです

「あと何歩?あとどのくらい?」「もうちょっとには騙されない」と憎まれ口は達者でしたが

後半は私のリュックに掴まりながら 何とか登り「山をナメていた」と泣きのセリフが入り

漸く下山すると「今までの人生で一番疲れた」とボヤいてくれコレはコレで面白いのかと……

 

◯網走湖一周サイクリング  22年 初夏 参加2名  文責S

 

ラジオしょうねん団の団員は試運転の期間が済むと 各々コーナーを持つ事になっています

自分のやりたい事を企画して その事について台本を作り 番組の中に反映していくのです

やりたい事ならどんな発案でも通る訳ではありません 耳を傾けたくなる内容でなくては

ただ「うどんを作る」では企画は通りませんが 小麦も出汁もゼロから作るなら賛成です

「ついでに丼も箸も七味唐辛子も作らないか」と 思わず私から持ちかけたくなるのです

 

さて「今までは近所でしか乗った事が無い」という男の子との待望の自転車遠乗り企画です

せいぜい平らな1〜2キロを漕いでいた四年生が いきなり網走湖一周38キロに挑戦です

呼人湖畔から湖を左手に大曲方向へ サイクリングロードをひた走りやや行くと上り坂です

ここから結構なアップダウンを繰り返し繰り返し 補給地点嘉多山峠の駐車場に到着します

上り坂の向かい風という悪条件を黙々と漕ぎ進む姿は 滝を遡上するサクラマスのようです

 

網走サイクリング協会のイベントに参加させて頂き 方々で声をかけて貰い それを励みに

当初思った到着時間よりも随分早くするゴールする事が出来ました お世話になりました

頂いたお弁当のこれまた美味しかった事 煮物も山菜の天婦羅もしっかり手の込んだ味付で

同じ事をした者同士 同じものを食べて先ほどまでの気持ちを分かち合うという単純な事が

世界中で出来なくなっていた数年間だったのだと 改めて認識するきっかけにもなりました

 

◯第一回風とあそぶ会   22年  秋 参加10数名  文責S

 

今どきの……というモノの括り方は人情の機微を乱雑に捉えるためにある と前置きし乍ら

今どきの小学生は忙しいと感じる 学習塾 クラブ活動 お稽古事に学校の宿題が日々加わる

他にも家庭ごとの行事がある 帰省もレジャーも今日 マニュアルの行き届いたものが多い

この「安全保障」と「監視社会」は諸刃の剣であるが 大人は思この事に考停止してみせる

そういった「取扱説明書」の力の及ばない場所に 今どきの子ども達を連れ出してみたかった

 

しかも世間は根幹の見えない事ばかりである 感染症 温暖化 ナノプラスティックの問題

枝葉となると難民 戦争 原発 差別 やがて水が涸れる事まで未来への迷惑な置き土産である

何しろ 気付けば未来に関わる時間がガクンと減っていたのだ 今更責任感じたからと云って

今どきの子ども達を 憂慮だか後悔だかそんな狐憑きの巻き添えにしてはいけないではないか

この考えがジジイの身勝手かもしれない 自分の見えていない可能性に棹さすだけなのかも

 

そう思いながらだったが舵を切った 始まりは子どもとの他愛無い紙飛行機談義だったのだが

それを拡大解釈して「見えないものを相手に」遊んでみようと お節介した事を認めておこう

南から大きな台風が近づいている気配が 当日の朝のオホーツク海上の「風」にも感じ取れた

「もっと乗っていたかった」と云い乍ら下りてきた子ども達を見て 幾分ほっとしたのだった

しかし決して「暇」な子ども達が集まったのではない 何方かと云えばその反対のようで……

 

※網走セーリング協会の3名のキャプテンのご好意で 2艇でそれぞれ2周遊して頂きました

子ども達へのご配慮と風に向かって前進出来る仕組みの明快な解説 改めて深謝申し上げます

 

◯濤沸湖一周サイクリング  22年 晩秋 参加2名  文責S

 

前回から随分間が開いてしまいましたが こういう天気に左右される企画はタイミング勝負で

一回ほんの少しでも どちらかの都合が合わないと どんどん日程がズレていくものでして

だから何でもそうですが 偶然お互いに空いていてお互いにそんなことをしたい気分だった

なんていうのは ひょっとすると奇跡の様だったのかもしれないと感じる事があるのですが

今回はまさにそんな偶然の連続で俄に連絡を取り合い 正に気付けば一緒に走っていたのです

 

心地よい秋晴れの中 水鳥湿地センターに8時半に集合しました お互いに体調は万全です

網走湖より周囲のアップダウンは無く 距離も25キロ弱の行程と短いのですが 油断は禁物

走りきるだけが目標ではありません 前回上手くいかなかったラジオ用の録音も懸案事項です

部長は今回から新車の〈ロードレーサー〉に乗り換えました お尻当ての付いたパンツも履き

すっかり自転車乗りのスタイルで登場しました また所々置いて行かれそうな予感がします

 

網走市側の湖岸に沿ってスタートし 朝日に煌めく水面や巣作りをしている様なリスの実況

上り坂の先の畑から一斉に飛び立つ水鳥の群れを眺め 音も無く木の葉が舞い散る道を抜けて

原生花園側の湿地で最後のオヤツ休憩 この分だと余裕でお互い午後の予定に間に合います

ふと若い頃の自転車旅行を思いだしていました 東京から網走まで帰ってきた真夏の貧乏旅を

あの頃は金も信用もなんにも無かったけれど(今だって) 時間だけはあったんだよなぁ……

 

◯第2回風とあそぶ会   22年  初冬  参加者27名 文責S

 

今回は〈凧〉と〈蛸〉の会です 子どもの頃から教えて貰った通りの事が出来ない性質なもので

凧作りは上手く出来た試しが無いのです そこは強力な講師陣にお願いしてさっさと厨房に退散

朝9時集合からたこ焼き作りに励みました 毎回食べ物を扱うたびに思うのですが いつから

こんなに 油断すると訳の判らないモノを食べさせられてしまう世の中に なってしまったのか

残留農薬に添加物や遺伝子組み換えの基準の緩さ 米国に言いなりの動物実験の如き輸入品等々

 

今日のたこ焼きだけはそんな訳には参りません こんな事もあろうかととっておきの梅酢の出番

1キロ千円もする海塩で漬けた無農薬南高梅から上がった純産です こいつに高松で買って来た

新生姜を漬けたのが先月 しかし紅生姜だけで悦に入っている場合ではありません 粉は地元の

きたほなみです 小口製粉されているイソップさんのものを購入 これに天然アゴだしを粉砕した

ものと大阪で買った「こんぶ土井」の粉末を入れて 網で二度振るいました 問題はメインです

 

前々日から 網走産蛸を探しスーパーを回りましたが出ていません タコ運がないのか不漁なのか

蛸焼きには頭の方が向いていると思うのですが全く見かけません そこで魚専門店へと駆込んで

明朝までに網走産の一番良い蛸が1キロ欲しいと頼み込んで 前金を払い遂に刺身用の蛸を確保

ネギは母の手作り キャベツは知り合いの農家 油と青のりは国産 天かすは手作り 鰹節は……

この辺りから糸が切れていい加減に…… チーズ、蒟蒻、ソース、マヨネーズとなんともかんとも

 

※どこでも竹とんぼオホーツクの会の古川先生を初め講師の方々のご尽力で凧は無事 子ども達の

歓声と共に秋空に上がりました 文末ながら改めて深謝申します 大変ありがとうございました

 

◎扉の絵について     漫画家 森雅之さん  文責S

 

一方的なファンとして作品を読んで居りましたが 20年程前に知人の紹介で引き合わせて貰い

以来折々ご一緒させて頂いて楽しい時を過ごして居りますが なぜか雪の中の思い出が多いのです

森さんの絵の中に 時折マフラーをぐるぐる巻いて白い息を吐いている子どもが登場してきますが

森さん自身もそんな風に 待ち合わせの場所で毛糸編みのボッコ手袋を振って笑っているのです

この絵をお願いに行った日も背景は雪景色だった気がします テレビ塔の地下で待ち合わせたのに

 

森さんの描く子どもの姿に昔の自分を見るのは 言葉に出来なかった機微を描いてくれているから

持って行きどころのない戸惑いや 果敢ない一瞬の忘れ難さを懐かしい色に塗り替えてくれるから

ファンの身勝手で穿ったつもりで生意気な口を重ねるならば「ほら あの時一緒だったよね」と

思わず云ってしまう様な そんな勘違いさえ許される様な甘えた気持ちにさせられてしまうのです

『銀の匙』の評を借りるなら(ギリギリ子どもが使いたい言葉だけになって)いるからでしょう

 

「全国からヒッチハイクで子どもが訊ねてくれる様な場所を作りたいんだけど」と森さんに云うと

「そっちの『じっとく』なんだね」と返事が返ってきました 打てば響くとはこの事なのですが

最も 響いてくれた森さんという鐘が大きすぎて こちらの鐘木がまだまだ追いついておりません

ロゴも含めて素人が思いのままの勝手を申しましたが ご覧頂いている様に纏めて下さいました

いつかそんな場所が出来上がった暁には 壁一面に森さんの好きな星空を描いて欲しいとも……